今回お話しするのは
ベネズエラの猿人
モノス
です。
モノスとは?
モノスとは南米ベネズエラにおける二足歩行のUMAです。
呼び名には「モノ・グランデ」「ド・ロワの類人猿」「ロイスの猿」などがあります。
スイスの探検家が初めて発見したのがその歴史となり、その特徴としては以下の通りになります。
- 体長が約1.5m
- 全身が黒っぽい体毛に覆われている
- 腕が異様に長い
- 尻尾はない?
- かなり狂暴
- 木の棒を所有
- 奇声で結構吼える
などがあります。
次にその発見の歴史を見ていきましょう。
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モノス発見の歴史
モノスの発見の歴史は第一次世界大戦後の1920年のスイスの地質学者「フランソワ・ド・ロワ」が率いる調査隊がベネズエラに油田開発の為に向かったことに始まります。
ベネズエラのタラ川付近の森でそのUMAと出会いました。
謎の猿との遭遇と射殺
調査隊が遭遇した猿は2頭であり、かなりの大型であったと言われています。
その2頭は奇声で叫び、大きく威嚇しながらモノを投げつけてきました。
調査隊は危険と感じ銃で応戦しました。
銃でその謎の2頭を撃つと雌らしき方が雄らしき方を庇って射殺されました。
残った方は森の奥逃げていったそうです。(やや小さかったことからもしかしたらモノスの子供?)
第二次世界大戦後の遭遇
第二次世界大戦後の1954年に同じくベネズエラに訪れたイギリス人ハンターが2頭のモノスらしき生物と遭遇しました。
この時は銃で襲ったのではなく不意を突かれて襲われたといいます。
襲われて地面に倒された時偶々手元に転がっていた岩で殴りつけて撃退したとのことです。(実際はモノスが怯んだ隙に逃げたとのことです)
この時は運よく助かったとのことです。
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モノスは死体の写真がしっかりと残っている?
最初のスイスの調査隊がモノスと遭遇し、その雌らしき猿を射殺した時その死体が残っていたそうです。
その死体を確認した時に雌と判別できたそうで、その時に調査隊は写真を残しています。
写真を残した理由は「死体を残してしまうと今後の調査に影響を及ぼす可能性がある。解体して食料にすべきだ」となった為です。
そこで解体される前に死体を石油缶の上に置き,木の棒で顎を抑えて写真を撮りました。
この写真を見た人類学者が「このモノスがアメリカ原住民の先祖のロワのアメリカ猿人だ」と学会発表をしました。
(ちなみにこれは「白人至上主義」に基づいた発表であり,モノスが原住民の先祖というのは誤りです)
では次のページでモノスの写真に対する疑問点やその正体の説についても解説していきます。
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モノスの写真に対する疑問
ですが不思議な点がこの写真にはあります。
正確には写真ではなくモノスの死体やそれ関連の証拠物件に対する扱いです。
モノスの遺体をどうして持って帰らなかったのか?
前のページでモノスの遺体は調査の邪魔になるので食料にしようとなりましたがその頭がい骨は残ります。
ですがこの頭蓋骨は運悪く現地のアクシデントに見舞われて破棄しています。
さらに簡単なスケッチもせず,写真を沢山撮ったが船が転覆してしまったので写真も残っていない。
運が悪いと言えば運が悪いの一言で終わるんですが、いくらなんでも都合が良すぎないかという話です。
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モノスの正体とは?
ではそんなモノスの正体とは何なのか?
説には3種類あるらしく、それぞれ見ていきましょう。
- クモザル説
- 未知なる類人猿説
- 突然変異種の類人猿説
クモザル説
クモザルは中南米に生息する猿です。
一般的なサイズは体長は最大70㎝以下だそうでモスマンの特徴とは合いません。
ですが手は長く、尻尾を使って樹上を動き回ります。(モノスには尻尾が無いらしく特徴と合いません)
未知なる・突然変異の類人猿説
モノスの2つ目の説としては突然変異した猿説やまだ見ぬ猿説などがあります。
確かにモノスの特徴の「長い手」に一番合致するクモザルですがその他の特徴が合いません。
そこで出てきたのが「クモザルの突然変異」や「見たことないクモザルの新種」です。
とはいえ、そんな都合がいい話があるかという話なのでクモザル説が一番強いです。
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まとめ: モノスはこんなUMA
こんな猿は普通にいそうなのが恐ろしいですね。
今は写真しかないんですがそのうちビックフットみたいに映像に残るモノスが現れるかもしれませんね。
楽しみです。
という訳で今回のまとめです。
- モノスはベネズエラのUMA
- スイスの調査隊が遭遇
- 雌が雄を庇って射殺されている
- 写真は残っているが現物は残っていない
- 証拠類はすべて船で消えている
- クモザル説が一番強い