こんにちは^^タクヤンです。
今回お話しするのは
バビロンの空中庭園
です。
即出?気にしない
バビロンの空中庭園とは?
”バビロンの空中庭園”は「世界の七不思議の1つ」で古代ギリシア(紀元前600年ごろ)に作られた庭園のことで、バビロンの吊り庭園ともいわれている。
造ったのは新バビロニアの王様のネブカドネザル二世で、建造目的は砂漠の国への嫁入りが嫌がったメディア出身の王妃アミュティスを慰めるためです。
結婚を嫌がる王妃の為に作るとかいい?王様ですね。
[スポンサーリンク]FGOのセミラミスとバビロンの空中庭園の関係性は?
さて、この名前を聞いたらFGOのセミラミス様を思い浮かぶ方もいるでしょう。
たしかに各サーヴァントの宝具はそれぞれのキャラの元ネタの伝承が多いですが、このセミラミス様自身の「虚栄の空中庭園」と「バビロンの空中庭園」とは実はそこまで深い関係性はありません。
いや?ある?・・・・難しい所ですが、セミラミスの元になった方が造ったわけではありません。
[スポンサーリンク]セミラミスは伝説上の女王様
カワイイカワイイカワイイ
「セミラミス」はアッシリアという国の伝説上の女王様で、モデルは「サンムラマート」。
このサンムラマートは紀元前9世紀のアッシリアの王シャムシ・アダド5世の王妃で子供の摂政を務めた方。
ギリシャに渡ってセミラミスという名前になったそうです。
そして、このセミラミスの伝承を見てみると以下の記述があります。
アッシリアの伝説上の女王のギリシア名。
半身半魚の女神デルケトーの娘。
戦いと愛の女神。
捨て子の彼女はハトに養われていたところを羊飼いたちに発見され,育てられた。
美しく賢い彼女は大臣オンネスの妻となったが,バクトラの戦いのとき,夫に従った彼女の作戦によりニノス王は勝利を収めた。
王は彼女を妃にしたいとオンネスに迫り,オンネスは困り果てたあげく自殺した。
妃となった彼女は,王の死後,女王として君臨し,バビロンに都を築き,特にユーフラテス川をはさんだ東西の城,なかでも西の城のバニロンの吊り庭園は工学技術の粋を集めた建造物として知られ,世界の七不思議の一つとされている。
ロッシーニの歌劇『セミラーミデ』 (1823) は彼女を歌っている。
ここに確かに「西の城のバニロンの吊り庭園」という記述があるので伝説上ではセミラミスが造ったってことにはなっています。
だが、これはあくまでもアッシリアの伝説上のお話。
現実ではバビロンの空中庭園を建造したのはアッシリアを滅ぼした新バビロニア王国のネブカドネザル2世です。
[スポンサーリンク]バビロンの空中庭園は実際は空に飛んでいる訳ではない!?
上の絵画は16世紀のオランダ人画家が油彩した油彩画。
そしてこの名前から「空を飛んでいる庭園」と思う人もいるでしょう。
実際世界の七不思議の1つなのでそう思うのも無理ないでしょう。
しかし実際は高台に作られた庭園です。
詳しくその特徴を述べると
- 宮殿の中に5段の階段状になった25mのテラス
- テラスに土を盛り、水を上まで汲んで下に流す
- 泥レンガを利用
- 樹木や花を植え、緑の山のように作られている
- 最上段の面積は60平方メートルと推定
そしてこの大きさから遠くから見ると空中に吊り下げられているように見えているので「空中庭園」と名付けられたそうです。
[スポンサーリンク]バビロンの空中庭園の栄華とその終わり
そんな空中庭園も様々な技術を用いて作られていたが、一説によれば紀元前538年のペルシア侵略の際に破壊されたといわれています。
つまりこの説が正しければどれだけ長く見積もっても80年ほどしかこの建物は存在していなかったと言われています。
[スポンサーリンク]バビロンの空中庭園は否定派と存在派で大きく分かれる存在
そんな世界の七不思議だからこそ、否定派と存在派が大きく分かれます。
否定派の意見は以下のようになります。
- 純粋に神話の話であくまでも東方の園の空想的な理想像を表現したに過ぎない
- ネブカドネザルの事業についての数多くの記録の中で庭園について言及されていない
- 同時代のバビロニアの資料の中に証拠となるものはない
などなど他にも土地的に水流源の川は当時には違う所に流れていた。など反論しようがない意見があります。
それに対して肯定派の意見は以下のようになります。
- アッシリアの王がニネヴェという庭園を建て、それが空中庭園と混同した
- 紀元前290年頃にバビロニアの神祭司の「ベロッソス」が唯一の史料を記載している
- アレキサンダー大王の歴史家の部下が庭園についての文書を残していた
などなど、後世の歴史書からバビロンの空中庭園について言及しており、バビロンの空中庭園は存在したという意見になっている。
バビロンの空中庭園はやはり存在しないのか?
じゃあ、バビロンの空中庭園は本当はなかったのか?という話なんですが、管理人は「あった」と思います。
後述する理由と同じなんですが、
違う建造物がそのままバビロンの空中庭園になった
が理由です。
上の肯定派の意見にもあった「ニネヴェの庭園」は実際に存在しています。
それが時間が経つにつれてバビロンに存在していたと勘違いされたという説が今は強いです。
さらに、バビロンの空中庭園とする遺跡もいくつかは発見されているが、どれも確固たる証拠がないのでバビロンの空中庭園が実際に存在したかどうかはまだ世界の謎のままです。
バビロンの空中庭園はラピュタのモデルになった?
そしてバビロンの空中庭園というところで天空の城ラピュタのモデルになったのでは?
という噂があります。
しかし宮崎駿監督はモデルについてはちゃんと名言しているわけではないですが、バベルの塔が最も近いモデルなのでは?といわれています。
しかし、作中に出てくる呪文「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。」。
この「パルシン」とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです。」バビロンはメディヤとペルシヤの連合国によって倒されます。
つまりバビロンの空中庭園があったバビロンを終わらせた呪いの言葉だそうです。
もちろんラピュタは世界各地の世界遺産などをモデルにしているといわれており、この話はあくまでも都市伝説であり、モデルを明確に示されていないからこそ生まれた話です。
[スポンサーリンク]終わりに
この空中庭園はゲーム「FGO」を遊んでいた時に興味が出て調べました。
まだまだ管理人の調査不足な点はありますが、今現在では上のような情報が即出ではあります。
このほかにも「バベルの塔」などもこの時代に近いと言われているので、昔の時代ほどこういった伝説が多いという事が伺えますね。
↓ほかの伝説