今回お話する都市伝説的な怖いお話は
トラウマ
です。
薪にトラウマを抱えた男性の物語
これは、ある男性が抱えるトラウマの話である。
—
私ね、物心ついた時から“薪”が本当に苦手で。
これ理解できる人はあんまりいないと思うけど、薪を見るだけで嫌悪感で頭の中がいっぱいになって吐き気もして。
テレビで見るのも絶対だめ。
ドラマなどで薪が出るシーンがあればすぐに消します。
こんな状態がもう15年以上も続いているんです。
でも、なんで薪が苦手なのか理由がわからなくて。
自分でも気持ち悪かったです。
小さい頃に何かトラウマになることでもあったのかなと思い、両親や姉にもしつこく聞きました。
「小さい頃、私に何かあった? 薪でケガしたとか…」
でも、誰も何も知らないみたいで。
家族も不思議がっていました。
だけど、気づいたんです。両親も姉もなんか知ってて、私に隠してるって。
だけど、もう私も限界でこのまま理由を知らないまま生きていくのが辛くて、 どうすればいいか悩んでいたときでした。
ちょうど今から5日前、その理由がわかたんです。
ちょうど1週間前に同僚と居酒屋で飲んでいたとき、たまたま同僚の知人が合流したんです。
見た目は普通のおじさんでしたが、どうやら精神科医のようで、私は酔った勢いもあって 初対面のその医者Sさんに薪の話をしたんです。
「もう15年もこのような状態で続いていて、原因がわからないんです。これってなにかトラウマでもあるんでしょうか」
Sさんは「おそらくそうでしょう」と言いました。
「何とかして思い出したいんです。原因をはっきりさせたくて」と聞くと、
「誘導催眠で思い出す可能性はあります。だけど、覚悟が必要ですよ」とのこと。
Sさんは誘導催眠について研究しているようで、
「どうしても思い出したいなら、プライベートでやってみましょうか」と言ってくれたんです。
そして5日前、Sさんの自宅で誘導催眠をやってもらいました。
「浅い催眠状態の時は自分の話した言葉を覚えているけど、あなたの場合はより深い催眠状態である退行催眠に誘導しなければならず、記憶が飛ぶことがあります。だから一部始終をテープで録音しておきましょう」と言われました。
そして、誘導催眠はなんと3時間かかりました。
ただ、Sさんが話してくれたとおり、退行催眠が始まってから何を話したか記憶にないんです。
催眠が解けたあと、「どうでしたか?」と恐る恐るSさんに聞くと、彼は今にも泣き出しそうな顔をして、「原因がわかりました…」と言いました。
その表情を見て私はすごく不安になりましたが、「テープを聞いてもいいですか?」と聞きました。
「いいですよ。だけど、精神科医の立場から言うと、これは思い出さなくてもいい部類の話だと思います。僕たちの仕事は患者さんの心の病を取り除くことであって、心の闇を突きつける事ではないんです。…それでも知りたいと思いますか?」
私は少し考えた後「はい」と答え、テープをもらいました。
以下、退行催眠が始まってからのやり取りです。
ほぼ、テープの内容のまま以下に記します。
15歳
S「○○さん、あなたは薪が嫌いですか?」
私「嫌いです」
10歳
S「○○さん、あなたは薪が嫌いですか?」
私「嫌いです」
7歳
S「○○さん、あなたは薪が嫌いですか?」
私「嫌いです」
6歳
S「○○さん、あなたは薪が嫌いですか?」
私「嫌いです」
5歳
S「○○さん、あなたは薪が嫌いですか?」
私「嫌いじゃないです」
6歳に戻る
S「きみは薪が嫌いなんだよね。どうして嫌いになったの?」
私「・・・・・・」
S「理由を教えてくれないかな?」
私「だめ」
S「どうして教えてくれないの?」
私「こわいの(涙声)」
S「大丈夫だよ。ね、怖くないから話してごらん?」
20秒弱の沈黙
私「あのね・・・」
6歳の私が語ったことをすべて思い出しました。
私の実家は群馬の田舎なんです。
家は祖母の時代から住んでいる古い家で、敷地はかなり広い。
私がまだ幼かった頃、よく母の手伝いをしていました。
風呂はガスでしたが、祖父が米にうるさい人で「ご飯は薪で炊け」とよく言われていたんです。
私が幼稚園から帰って夕方になると、母が「○ちゃん、薪お願いね」と言って駕籠を渡してきます。
私は駕籠を受け取って、母屋から50mくらい離れた薪小屋に走って薪を取ってきて、母に渡します。
母が薪をかまどに入れて新聞で火を付けて薪が燃えてくると、 ご飯が炊き上がるまでの間、私をおんぶして歌を歌ってくれたんです。
私はそのおんぶが楽しみで、母の背中が心地よくて大好きでした。
夕飯になると家族が全員揃いました。
私はそこで「今日も私が薪を選んで運んだんだ!」と得意そうに話します。
祖父母も父も「○ちゃん偉いね。ごはんがとってもおいしいよ」って褒めてくれました。
私はそれがとても嬉しかったのです。
6歳のとき、幼稚園から小学校になっても薪を運ぶのは私の役目でした。
その日もいつものように駕籠を渡されて、薪小屋まで走ったんです。
薪小屋は4畳くらいの四角い小さな小屋で、戸を開けると左右正面に薪がずらっと積んであります。
だから実質の広さは1畳くらいしかない。
その日もいつものように戸を開けたんです。
その狭い小屋の中で、近所のお兄さんが首を吊って死んでいました。
本当に目の前でぶら下がっていました。
青いパジャマ姿で目を見開いて口からは涎を流して、下には小便らしき水溜り。
ちょうど物心がついた時期だったので、私の中にトラウマとして残ってしまったんでしょう。
私の叫び声に家族全員が駆けつけてきて、大騒ぎになりました。
その後は警察や近所の人が来て、狭い町だったので一気に町中に広がりました。
私はそれから情緒不安定になって、ほとんど口を開かなくなり、夜中に突然大声で泣き出したり、手に負えない状態が続きました。
そんな私を想って、祖父が私を母方の祖母の家に預けました。
その間に薪小屋とかまどを潰したそうです。
そして1年後、実家に戻ってきた私は事件のことをさっぱり忘れていたそうです。
でも実際は、極度のストレスとトラウマによって心が破壊されるのを防ぐために、自分で記憶を封印してしまったんですね。
だけど、薪を見ると無意識に嫌悪感を抱くようになってしまったということです。
ここからは余談ですが、人間の脳って本当に不思議です。
フラッシュバックというのか、思い出した瞬間にあのときの記憶が鮮やかに甦ったんです。
お兄さんが着ていた服、小屋の様子、当時の家族の顔、風景…。
今までまったく思い出せなかったことが、今でははっきり思い出せます。
今は落ち着いて、こうやって話せるようになりましたが、思い出したときは涙が止まらないし少しパニックになりました。
思い出してよかったと思ったり、やっぱり思い出さなければよかったと思ったり。
お兄さんの死を悲しむ気持ち、お兄さんを憎む気持ち、懐かしさ、後悔、恐怖、抑えていたいろんな感情が溢れ出しました。
それから、このことを母に全部話したんです。
一応前置きとして、ショックだったけど耐えられたこと、家族が私に気を遣ってくれてきたことへの感謝の気持ち、そして、あのおんぶが本当に幸せだったこと…。
母は泣きながら私に言いました。
「あれは誰も悪くないのよ」と。
母が言うには、お兄さんが自殺して私がおかしくなってしまって、それを知ったお兄さんの両親が毎日うちに土下座して謝りに来たらしいです。
私が祖母の家に引き取られてからも、しばらく続いたらしくて。
「だから思い出しても○○さんを恨んじゃだめよ」と母は私に言いました。
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